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保守

 投稿者:やま  投稿日:2011年 2月20日(日)13時08分34秒
返信・引用
  保守  
 

ヒメムカシヨモギ

 投稿者:やま  投稿日:2010年10月13日(水)07時16分11秒
返信・引用
  ヒメムカシヨモギは北アメリカ原産の帰化植物で、日本には明治時代に渡来した。帰化後急速に広まったようで、御維新草、明治草、
世代わり草、鉄道草などの様々な名前で呼ばれてきた。オオアレチノギクとともに、各地の路傍、放棄畑、荒れ地などに生育し、
高さ2mほどになって群落を形成する。オオアレチノギクよりも茎がしっかりしているようで、より草丈は高くなる。
 秋に芽生え、ロゼットで冬越する1年草(2年草)である。8月に花を咲かせるまではほとんど枝分かれせず、頂部ではたくさんの
花序を形成して枝分かれする。

沼  初出 : 「別冊文芸春秋」(1955 ・8)    見る少年の昼と夜/ 短編集(1958)

子供は怯えたように、少し離れたところから沼の方を見ていた。沼はすぐすぐそこだった。夏休みの終わりころで、背の高い鉄道草が身の
丈よりも高く生い茂っていた。草の間から太陽の光を反射した沼の水が、子供の目に魔法のように映った。光っているところが沼に違いない。
先の方で小学生が四五人騒いでいた。夏じゆう蝉や蝶を追いかける場所であるが、また危険なところでもあった。子供はここへ初めてきたし、
警告の立札もまだ読めなかった。子供はすこしづつ沼の方へ近づいた。そこはお母ちゃんに行ってはいけないと止められていた。雨降りの時
には沢山の蛙が、おどけたように「お出で、お出で、」と鳴いた。
「沼で蛙が鳴いている」とお母ちゃんが言った。「どこにあるの、その沼?」と訊くとお母ちゃんは眼を三角にして「駄目。ボクなんかの行く
とこじゃない、一人で行っては駄目」と言った。蛙が待っているのに。子供はまだ怯えていたが、小学生たちの甲高い笑い声はすこしづつ子供の
気持ちを落ち着かせた。小学生に見つからないように用心して大きな樹の幹の陰から覗いてみた。そこが沼だった。どんよりとした生ぬるそうな
水が足元から広がり、すこし先には苔が生えていて樹の茂った向こう岸がある、小さな沼だった。蛙もいなかった。どぶん、と水音がした。
小学生が石を投げたらしい。波紋が太陽と藻草とごみを揺らした。波紋が幾重にも交じり合うのを見ていた。びっくりした。蝉がおしっこを
して飛び去った。おしっこをしたのは僕じゃないよ。子供はそこで初めて気がついた。向こう岸だと思ったのは小さな島で、子供なら五六人
立てるほどの大きさで中央に大きな樹があり、その長く伸びた枝はこっちの岸まで渡っていた。小学生たちは自分なら枝を伝って島に行ける、
行けないと話し合っていた。子供は樹の陰から小学生を見ていた。一人は樹の枝に飛びついたが、わずかに届かず、すんでで沼に落ちる
ところだった。「どうして子供たちは沼で遊ぶの?」お母ちゃんは言った。「よその子供とは遊ばせてはいけない」とお父ちゃんが言った。
沼の水は深そうで、お魚や蛙はいそうになかった。小学生は一人を馬にしてさっき転んだ子を背中に乗せた。つま先だって枝をつかんで、
ぶらさがった。「駄目だぞ、落っこちたらどうするんだ」草叢から声がして、小学生たちは逃げ出した。笑い声が聞こえた。白いワイシャツを
着た大人だった。「僕は違うんだよ。あの子たちとは一緒じゃない」樹の幹のしがみついて子供は一所懸命に弁解した。大人は笑っていたので
安心して少し前へ出た。「一人きりかい?」「うん、一人で来たんだ」おとなはそれきり何も訊かず煙草に火を点けた。子供は側に寄って行き、
しゃがんで沼の方を見た。その大人はちっとも怖いところがなく黙って煙草を吸っていた。蝉が向こうの島の樹に止まって鳴き始めた。
「島があるくらいだから大きい沼だね」大人は笑った。小さな沼と小さな島に違いない。「海に行ったことはないの?「僕は知らない」
子供はどこへも行ったことはなかった。父親は自分だけで休日を過ごし、母親はいつも家にいた。「さっきの子、枝につかまったけれど、
どうして?」「島に渡ろうとしたのさ」「どうして?そうか、手を変わりばんこに動かして行くんだね。」
子供は樹の枝を見て、その高さを測った。枝は高くて緑の葉が茂っていた。蝉はいなくなって水は濁ったままだった。「島に行けたら面白いね。
あそこはまだ誰も行ったことはないんだね。」大人は子供の顔を見た。「行ってみたいかい?」「うん、小父ちゃんなら行ける?」子供は
もう一度枝を仰いだ。「もし僕、あの枝に掴まれたら、一人で行ってみせる。」大人は煙草を水に捨てた。「じゃ小父ちゃんが向こう岸に渡し
てやろう」子供は息をはずませて走った。どう走ったのかも解らなかったが自分の家の方角へ近づいた。自分の家が分かった時には安心して、
急におしっこがしたくなった。「お母ちゃん」と叫びながら家に駆け込んだ。
なぜ急に逃げだしたのだろう。やさしそうな小父ちゃんだったのに。もし逃げださなかったら島へ行けた。きっと行けた。行っていたら
どんなに面白かったろう。ひょっとしたら僕はボクでなくなって、誰か他の人になっていたかもしれない。あそこに行った人だけが大人に
なれるのかもしれない。お母ちゃんも行ったことがあるかしら。
「どこへ行っていたの、一体?」母親は怖い顔をして訊いた。あそこは秘密の場所なのだ、大人は教えたがらないのだ。「どこなの?」
「沼」不承不承答えた。母親は火のついたように怒りだしたが、なぜそんなにも叱られるのか分からなかった。母親は矢継早に質問したが、
子供は黙っていた。何と答えればいいのかわからない。歩いているうちに沼へでたのだ。ボクはおいたもしていない。おしっこも
洩らしたりもしていない。「ボクはどうしてそんなに強情なの?」母親は叱り疲れて、黙りこくった子供を見つめていた。夕方父親が帰って
来た。母親は玄関口で子供のことを訴え、父親は不機嫌そうな顔をした。自分が帰ってくるそうそう、子供のことでガミガミ言うことはない。
母親は怒りを父親に向けた。「あなたは坊やのことをちっとも大切に考えていない」と蒼ざめた表情で母親は言い張った。お父ちゃんは
ちっとも僕を大事にはしない、きっと僕のお父ちゃんではないんだ。いつ頃からかそんな奇妙な考えに子供はとらわれていた。僕はちっとも
お父ちゃんに似ていない。「この子は母親似でしてね。」お父ちゃんは僕と遊んでくれないし、何も買ってくれない。お酒を飲むときは
きっと起こるし、とても怖い。お母ちゃんも本当はお父ちゃんが嫌いなんだ。夕食の支度が冷たくなっている。「いつまでもガミガミ言うな」
「あなたはこの子がかわいくないのね。自分の子なのに。どうしてそんなに平気でいられるのでしょう。この子さえいなけれな私と別れると
言ったことがあるわね。」「馬鹿なことを言うな、子供の前で。」「あなたはボクちゃんが沼にでも落ちて、死んだら私と別れられて
うれしいのでしょう」母親は泣き出し、子供も一緒に泣き出した。かわいそうなお母ちゃん、別れるってどういうことなの。冷たくなった
夕食を食べた。子供は眠たくなったので蚊帳の中に入れられたが、まだ両親は口争いをしていた。あの小父ちゃんはやさしそうだった。
逃げ出さなければきっと島へ渡してくれたろう。ひょっとしたらほんとうのお父ちゃんかもしれない。逃げ出すことはなかったのだ。
子供は目を覚ました。両親はぐっすり眠っていた。蚊帳から抜け出して、そっと外へ出た。月は明るく通りには誰もいなかった。
子供は長い間歩いたが、夢のなかで歩いているようになんの疲れも感じなかった。沼は月の光に照らされて、冷たそうな水を湛えていた。
一本の樹が枝を広げていた。島は黒ずんで浮かび上がり、露に濡れた葉は一枚一枚輝くようだった。誰もいない、虫たちは鳴き止んで
また一斉に鳴き出した。小父ちゃんは何処にいるのだろう?怖くはなかった。昼間とはまるで違って、沼は大きく美しく妖精の住家のように
見えた。眼を凝らすと木の葉の一枚一枚をはっきり見分けることが出来た。島から伸びている木の枝が子供でも手が届くほどに地面に
垂れ下がっていた。小父さんがこんなふうにしてくれたのだ。島で僕を待っている。飛びあがってたやすく枝をつかんだ。代わりばんこに
手を前へ動かした。次第に手の力が抜けてきた、夢なのだ、手を離して沼に落ちたと思ったら、きっと夢が覚める。しかし一心に手を
動かした。夢でもいいから島に行きたい。そこへ行けば大人になれるのだ。子供は樹の幹に達した、そして地面に降りた。島だ。苔の生えた
ぬるぬるした地面を用心して歩く。沼の水は眼の前にある。ゴミも藻草もどこかしこ金色に光っている。ここは秘密の場所だ。小学生も
ここには来れなかった。お母ちゃんは来たことがあるかしら。母親は目を覚ました。子供の様子を見たが子供はいない。父親を起こしたが、
機嫌の悪い顔で起きた。暫く取り乱した妻をぼんやりと見ていた。「きっと沼へ行ったのだ」「まさか、こんな夜中に」子供は島で一人
だった。すこし震えながら僕はもう大人だと考えていた。もう何も怖くない。お父ちゃんだって怖くない。月が動いた。僕はもう
帰らなければならない。小父ちゃんはどこにもいなかったが、子供を見守っているようだった。子供は樹の幹を登り始めた。樹の幹は太い、
来たときの枝はずっと上の方だった。手が疲れてくるとまた夢の中にいるような気がした。落ちると眼がさめるのだ。両親は沼のほとりに
来た。母親は狂ったように喘いでいた。その眼は島の上に子供の影を認めた。父親が止める間もなく、愚かな母親は叫んだ。「坊や」
子供は声のする方を見、母親の肩ごしに父親の鋭い眼差しを認めた。手を離した子供は地面に落ち、苔の上を滑り沼に吸い込まれた。
波紋が金色の渦をゆっくり広げ、重なり合った。
 

福永 武彦1

 投稿者:やま  投稿日:2010年10月13日(水)07時15分5秒
返信・引用
  福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年3月19日 ? 1979年8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
略歴 [編集]
福岡県二日市町(現筑紫野市)生まれ。開成中学・第一高等学校を経て東京帝国大学文学部仏文科卒業。1945年、治療と疎開のため
北海道帯広市に移り、3ヶ月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、翌年再び帯広に渡り、帯広中学校の英語教師として赴任する[1]
その年に処女作「塔」を発表。しかし冬に肋膜炎を再発し、1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
その間に同級生(旧制高校)の中村真一郎、加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、日本語での押韻定型詩の可能性を
追求した。戦後この三人で、『1946年・文学的考察』を刊行し、戦場での体験や左翼運動を経験した第一次戦後派作家とは距離をおいた
文学活動をはじめた。1954年の長編小説「草の花」で、作家としての地位を確立。人間の心理を奥深く探る方法で、多くの長編小説を
発表した。中村真一郎とともに堀辰雄の薫陶を受け、『堀辰雄全集』の編纂にも何度もかかわった。学習院大学で長く教鞭をとり、
ヨーロッパの最先端の文学動向をよく論じた。ボードレールなどの翻訳や芸術家を主題にしたエッセイでも名高い。古典の現代語訳も
多く試み、『日本書紀』、『古事記』(現:河出文庫所収)『今昔物語集』(現:ちくま文庫所収)の翻訳は高い評価を得ている。また、
中村真一郎・堀田善衛とともに「発光妖精とモスラ」(のちに筑摩書房)を書き、映画「モスラ」の原作となった。また、中村真一郎・
丸谷才一と組んで、西洋推理小説をめぐるエッセイ『深夜の散歩』(早川書房のち文庫化)を刊行し、さらに加田伶太郎の名前で
推理小説を書き、のちに『加田伶太郎全集』全1巻で刊行されている。幼少時にキリスト教伝道師である母親のもとを離れて、
父親に預けられた。母親との約束を守り、父親は開成中学時代までは教会に武彦を連れて出席した。しかし、その後武彦は教会から
遠ざかる。死の二年前1977年、クリスチャンになりキリスト教朝顔教会の井出定治牧師により、病床洗礼を受けた。死ぬまでの二年間
は教会に通い、聖書をギリシア語などで、原典に忠実に読んだ。1979年、脳内出血で死去。朝顔教会で教会葬[2]を行った。同人仲間の
原條あき子(詩人、2003年没)との間に作家池澤夏樹がおり、声優池澤春菜は孫娘である。

代表作品 [編集]
塔(1948年)-河出文庫 (絶版)
風土(1952年)、のち増補改訂版、新潮文庫 1981年 (絶版)
草の花(1954年)-(新潮文庫、再改版1991年)、ISBN 978-4-10-111501-6
夢見る少年の昼と夜(1954年)-新潮文庫 (絶版)
夜の時間(1955年)
冥府・深淵(1956年)
愛の試み(1956年)、(新潮文庫、再改版2005年)、ISBN 978-4-10-111506-1
完全犯罪(1957年・加田伶太郎名義)-「加田伶太郎全集」
 新版は<昭和ミステリ秘宝>扶桑社文庫・2001年
心の中を流れる河(1958年)
世界の終り(1959年)
廃市(1960年)-新潮文庫 (絶版)
告別(1962年)-講談社文芸文庫 1990年
忘却の河(1964年)-新潮文庫、改版2007年、ISBN 978-4-10-111502-3
幼年(1967年)河出文庫 (絶版)
海市(1968年)新潮文庫 (絶版)
風のかたみ(1968年)新潮文庫 (絶版)、映画化時に復刊
死の島(1971年・第4回日本文学大賞を受賞)-新潮文庫上下、1977年(絶版)
※右記は再刊、以上の作品をまとめた『福永武彦全小説』(全11巻、新潮社)が、1973-74年に出された。
 没後には『福永武彦全集』(全20巻、新潮社、1986-88年)が刊行された。
 

あらすじ

 投稿者:88  投稿日:2010年 8月11日(水)17時42分16秒
返信・引用
  作家の私は都心の仕事場から、昼食を摂るため通りへ出たが、デモ隊の喚声や物々しい警官たち
の警備から、そこで今日はメーデーだと気づいた。目下の仕事である木村蒹葭堂のことから、
柄にもなくソビエト共産主義政権崩壊後の赤の広場に思いを馳せた。旧友が諏訪の
「万治の石仏」の前で斃死したのはちょうどこの時だった。
「神ならぬ身の知る由もなく」--との常套句もぴったりと合うドラマがあった。
この諏訪の「万治の石仏」は数年前旅の途中で出会ったが、その異教的な風貌は
十七世紀の同時代からは遥かに離れている。この石仏の前で奇怪な旧友は餓死同然で
心臓発作によって倒れ、ぼろをまとった遺体の上には季節に
遅い桜の花びらが散り撒かれていた。
これを熱海の隠宅でを五月二日か三日に新聞で知った。
そして彼は自身の予言どおり「六十一年後の五月一日」に望んだ「蓬莱国」に帰っていったのだと
私は深い感慨に捉えられた。
旧友は六十年も前に旧制高校で同室になった信州出身の男で、その愛郷的価値観を都会出の私は
敬遠して、それからすれ違うこともなくなった。
高校は全寮制であったが、勝手に外泊して教室にも出なくなった。噂では新興宗教や
盛り場で占いなどやっていたらしい。
戦争があって、終わり、ある週刊誌に容貌魁偉なからの面影が載ったが、
彼は戦場で負傷して星空を見上げている時、「戦争と平和」のアンドレイ公爵のように、
生死を超越した感覚を得て、「蓬莱境」に魂が遊んだのを感じた。
そして彼はドイツ語混じりの俳句で記者を煙に巻いていた。
十数年前たまたま気まぐれに行った上野の夜桜見物で彼と再会した。
彼はお面を被って拙く踊って観衆の歓呼や嘲笑を浴びていた。
私は小説家的興味からか、観衆の最前列に押し出された。素人ダンサーは突然私を引っ張って
人気も疎らなベンチに私を抛った。強盗かとも思ったがそれが彼だった。
彼は正体を明かし、私の小説を時々読んでいるといった。
また私を軽い男で才能もないと思っていたが、人生では持続が大事で、見かけによらず
持続的であって一人前の作家になったと彼を褒めた。
私はこの男の現実離れした話には興味がなく、小説家の常ととして勝手な話し振りや言葉使いなどを
観察していた。
しかし私はだんだん彼の話すことに関心が移った。彼はあまつさえ私のライフワークとされている
小説四部作まで読んでいて、私への認識が改まったと言った。私はこの「超俳句」を作って
酒を飲んで放浪している男が同業者の旧友五人も読んでいないと思われる小説を読んでいるのに
驚くと同時に、旧制高校生風の友情にいささか心を動かされた。
彼は高校を卒業しないまま、一兵卒として大陸を転戦していた。
彼が高校中途退学とは知らなかった。退学理由は生存そのものへの疑問に逢着したといったが、
やはりこの年頃にありがちな恋愛問題が伏在したが、その愛の対象は同性だった。
戦前の男女交際についてはサディスティックな覗き屋的監視で見張っていて、
狭い環境の中で自然と同性愛が発生しがちだった。
彼は年下の新入生に一目ぼれぢて、逢引空間を確保するために、特別の許可を得て
寮を出て学校近くの家の一部屋を借りてその愛人と過ごした。これも狂恋のなせるわざであった。
「あんな美少年は見たことはない、あれは人間ではなくて蓬莱国の童子の生まれ変わりだ」
と彼は言ったが私は恋するものの錯覚であると信じなかった。
この同性の愛人の蜜月は一年しか続かなかった。春休みから桜満開のころこの下級生は憂鬱になり、
葉桜のころ「お別れの時が来た」と彼を驚かせた。
下級生は別れの記念に桜の残っている東北への旅行を誘った。彼はなんとか別れを阻止しようと
大事な新学期を放擲して二人にとって始めての旅行に向かった。
下級生は桜満開の温泉宿で奇怪な告白をした。
彼は16歳の中学四年で高校を受験したが、最初の異変が身に起こった。
入学試験が終わった日の深夜に、無数の若者が波の中に折り重なっていて、
黒いガウンを着た古風な教授が名前を読み上げると、呼ばれた若者は岸に上がった。
服はまるきり濡れてはいなかった。三十人の名前が呼ばれたところで夢が覚めた。
呼ばれた三十人の姓名はありありと記憶に残っていた。
この下級生は後日発表された同級生のとなる合格者の名前をみて驚いた。
夢は合格者を予知していた。彼は「既視感」からの錯角だろうといったが、
下級生は一度聞いたら忘れようもない名前もあったので間違いないといった。
それから新学期がまた来て、ある夕方寮の裏門を越えるところで、疲れから落ちてしまい、
丁度満開の桜吹雪を浴びながら、夕空を見上げていた。
彼はいつしか恍惚境に入って、再び黒服の老人が「そろそろ、こちらへ戻っておいで」
といった。少年は魔法がかかっていたのだった。
少年は蓬莱国の童子であった。年の初めに帝王である神仙の行う儀式の最中に、
地上を見下ろすと桜の満開に見とれて、手順を遅らせてしまった。
罰として童子は地上に追放され、ある地方の夫婦の子供として生まれ変わった。
しかし童子追放の期限も今年の桜の期限で切れ、地上で桜の最後に散るときがその時で、
旅行は地上でのただ一つの執着の対象である愛人を伴っての人間としての「死出の旅路」であった。
彼は少年がそれは神経症による妄想だと主張した。また薬物による記憶抹殺をも考えた。
しかしこの聡明な少年は自分が蓬莱国へ帰るという信念は曲げなかった。
彼は少年がこの地上の生命を捨てるなら、自分も一緒に死ぬといった。
少年の愛を信じていた彼は、自分のために死ぬのを留まってくれると考えたからだ。
こう押し問答しているうちに自分も蓬莱国へ行ってもいいし、今度は双生児として
また生まれ変わってもよいと考えた。私はこの蓬髪の虫のいい自分勝手な話を聞きながら、
信州出身者の強情者の一人が合点の癖が変わっていないのを知り、世外の民としての
放浪生活も一種の畏敬の念を持った。
そして私はこの男の宝来国の神仙に執拗な掛け合いを繰り返す光景を思い描いて、
浄福感を禁じえなかった。そして「神仙に会った」か問うた。
彼は蓬莱国の役所も非能率で、追放の判決も二・三年かかり、魂の改造にまた
数年要したといった。追放は五年間だったが地上ではそれは三十年に相当する。
彼が少年を説得している間、出かけた山奥の温泉街の宿の裏山の滝壺に、
彼が少年の俳句に気を取られている隙に、桜の花びらの浮いている水面に飛び込んだ。
と同時に水煙が滝を遡るように上がって少年は蓬莱国に帰った。
彼は蓬莱国に入国を申請して、その許可をこの世で待つことにした。
この間、中国の古書や読み、神仙術・易なども研究した。
このお陰で学校は終わってしまった。
徴兵された彼は大陸を転戦した。戦場で負傷した彼は週刊誌の記事では、魂が恍惚境に遊んだと
あったが、実は天上にいた少年から、宝来国に入国できることになったが、六十年後の桜の季節に
必ず迎えに行くと告げた。
こうして彼の奇怪な話は終わり、彼を強いて帰した。
私は髭面の放浪俳人に感心ともあきれるともつかぬ妙な気持ちで、銀座の酒場へ向かった。
地上の些事で首までつかっているような噂話で、浮き上がった魂を地上に引きとめようとした。
それから十数年、私の健康は悪化し、医者の命令に従って禁酒をして、酒場とも縁が薄れ、
クラス会にも出席しないようになり、人間嫌いが昂じてきた。
蓬髪髭面の放浪俳人のことを滅多に思い出すことはなかったし、自身のことでさえ今では
他人事のように感じられる。
メーデーの日に旧友があの不思議な石仏の前で斃死したという記事を見て、
上野公園での出来事が生々しく蘇ってきた。
私はこの記事を読んだ後、ガラス張りの書斎から遥かな水平線を見ながら、
蓬莱国が蜃気楼のように存在し、かの国の童子と再開し、長い思いをかなえている
だろうと想像した。
それからさらにあの石仏も神仙の怒りに触れ、勘気が解けずについには地上にあのように奇異な姿に
凝固したのではないかという妄想に沈んだ。

1 全体を通じて溢れる桜のイメージ。
2 熱海の高層マンションの書斎のガラス戸にとじこめられている私。
3 「万治の石仏」のイメージ。
4 原話は「中国,清代の怪談集。袁枚(えんばい)〔1716-1797〕の作。書名は《論語》の
〈子は怪・力・乱・神を語らず〉から取ったものだが,同題の書があったため,後に《新斉諧》と改題。」
〔百科事典マイペディア〕原話が無ければよいけれども、どうも作り話という印象が拭えない。
5 トルストイの「戦争と平和」アンドレイ公爵
6 上野公園でお面を被って踊る男。谷崎「幇間」芥川「ひょっとこ」
7 放浪者というもの。
8 同性愛について。
9 マゾヒズムとは何か「人間が社会生活を行なっていれば様々な理不尽と思える状況に
直面することがある。そういったときに「自分が我慢すればよい」と不当な圧力や要求に
耐える人が存在する。また「囚われのお姫様」や「苦難を乗り越え進む英雄」と言った
ヒロイックな状況は、苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られる。
そのためどのような人間でも被虐嗜好的要素を持ち合わせていると言える。
こうした自己犠牲や苦痛や逆境への親和が、実は、性的嗜好としてのマゾヒズムの基盤にある。」
マゾヒズム
10

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中村真一郎

 投稿者:88  投稿日:2010年 8月11日(水)17時41分23秒
返信・引用
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中村真一郎(なかむらしんいちろう)
[ 日本大百科全書(小学館) ]
(1918―97)
小説家、評論家。1918年(大正7)3月5日、東京日本橋に生まれる。東京帝国大学仏文科卒
業。1941年(昭和16)ネルバルの『火の娘』の翻訳が縁となって堀辰雄を知り、師事する。42年
加藤周一、福永武彦(たけひこ)らと文学研究グループ、マチネ・ポエティクを結成。一方、
ファシズムの荒れ狂うなかで発表のあてもなく長編『死の影の下(した)に』を書き続けた。そ
れは、第二次世界大戦後、雑誌連載ののち、47年に刊行されると一躍注目され、戦後派作家とし
ての位置を確立した。同年『近代文学』の同人に参加。以後『死の影の下に』、『シオンの娘
等』(1948)、『愛神と死神と』(1950)、『魂の夜の中を』(1951)、『長い旅の終り』
(1952)の長編五部作をはじめ、『回転木馬』(1957)、『空中庭園』(1963)、『雲のゆき
来』(1965)などで20世紀のヨーロッパ文学の手法をとり入れ、さまざまな文学的実験を試みる
こととなる。他方、評論『王朝の文学』(1957)や『頼山陽(らいさんよう)とその時代』
(1971。芸術選奨受賞)などでも独自の境地を開く。評論にはほかに『芥川龍之介(あくたがわ
りゅうのすけ)の世界』(1968)、『近代文学への疑問』(1970)など多数ある。一生を四季に
たとえ、10年がかりで完成した『四季』四部作(1975~84)が代表作とされる。『夏』で78年度
谷崎潤一郎賞、『冬』で85年に日本文学大賞を受賞。日本の近代の作家にも関心が強く、芥川龍
之介や豊島与志雄(よしお)を積極的に評価し、彼らの創作の試みを高く評価したことでも忘れ
http://100.yahoo.co.jp/detail/中村真一郎/ (1/3) [2010/08/10 20:16:06]
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中村真一郎- Yahoo!百科事典
ることはできない。93年(平成5)から日本近代文学館理事長を務めた。1997年(平成9)12月25
日没。
[ 執筆者:関口安義]

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[万治の石仏]

 投稿者:88  投稿日:2010年 8月11日(水)17時39分24秒
返信・引用
  [万治の石仏]

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sikenn

 投稿者:88  投稿日:2010年 2月12日(金)19時28分28秒
返信・引用
  sikenn uchiyama  

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